備中松山城めぐり

その1:小松山城(要害)

今回の旅の目玉の一つ。

高梁川に沿った谷を遡ると、高梁の城下町が現れてきます。

奥深い備中の山の中の街、そこは交通の要衝であるとともに

街全体が堅固な城になっていました。

お目当ての石垣、天守櫓は修復中とのことでちょっと残念。

ま、また来ればいいや。

 

中世の三村氏が築いた松山城は標高470mの大松山山頂にありました。近世の水谷氏以降の松山城は小松山(420m)を中心に築かれており、山城としては唯一現存する天守が貴重です。また、「何故ここまでやる?」と疑問に思うほどの石垣群も見ごたえ十分。今回は修復工事中とのことで、天守の内部や小松山方面には行けませんでした。ここでは小松山の天守を中心とした遺構をご覧頂きます。
山麓の駐車場でバスに乗り換えて、この中腹の鞴(ふいご)峠に向かいます。 急な登城路には城主からの様々な「戒め」が。
やがて見えてくる中太鼓の丸の石垣。 同じく中太鼓の丸石垣。

圧巻の迫力、大手門付近の石垣郡。付近の石垣やこの上の土塀は修復作業中でした。それにしても天然の岩盤(写真右上)上にこの高石垣を積み上げる巧みな技術は驚きです。 大手門跡。高い石垣と急斜面の坂入枡形になっています。ここには櫓門がありました。
大手門の上は三ノ丸。 三ノ丸から見上げる圧巻の石垣。竹田城などと並んで、「天空の城」と称したい。それにしても、戦乱の収まった江戸中期に何故、この山上にここまで堅固な高石垣を築かなければならなかったのだろう?
三ノ丸から二ノ丸へ向かう石段。 その石段の途中で折れ曲がるところにある「御膳曲輪」と「四の平櫓」跡。ここには仕切門があった。
二ノ丸虎口、櫓門跡の巨石。 二ノ丸から本丸の櫓群を見る。修復中の天守、二重櫓は現存ですが、その他の平櫓、塀は復原です。
現存12天守のうち最も標高の高いところにある。小ぶりな二層の天守は、平成15年まで修復が行われる。 本丸東門。搦手への通路。
本丸下から見た東門と石垣。 埋門形式の搦手門。この先には中世松山城(大松山城)があるが、修復工事のため先へは進めませんでした。残念。
本丸二重櫓は大手門石垣と同じく大岩盤の上に石垣を組んで建てられています。この不整形な岩盤に、一体どういう技術で積むのだろう? 本丸付近から見た高梁の城下町。木々に遮られて眺望はそれほどでもありませんでした。
 

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