「山田ちょんまげ村」(千葉県香取郡山田町)2003.09.07

千葉県北部の山田町、人口一万一千人あまりの小さな町である。この、緑豊かな(というか、かなり寂しい)町の、畑ばかりの台地上にそのあやしげな施設の廃墟がある。このレポートは、その施設への潜入の記録である。断っておくが、この潜入行為は立派な不法侵入である。決して皆さんにオススメはしない。このサイトからこの記事が消えたら、どこぞの方面からクレームが来たと思って欲しい。また、数ヶ月更新がなかったら、不法侵入でお縄になっている可能性もある、と思って欲しい。

「山田ちょんまげ村」の風景。

・・・・。ある種のテーマパークなんだろうな。。。やっぱり、こういう名前であるからには、従業員はちょんまげ姿で客を迎えたのであろうか?しかし、そのちょんまげ姿を見るためにここまで来る人間の数は知れたものだっただろう。廃墟となったちょんまげ村には、あやしげな看板や建物が林立(というほどでもないが)していた。

敷地面積は結構広いようだ。広い駐車場があるが、ここが満車になったことはあるのだろうか?

やたらと目に付くのは「ぼけ市」という看板である。いったい、ぼけ市とはどんな市だったのだろうか?今となっては知る由もない。

「バカ安商」だの「ほがらか天国」だの、意味不明であやしげな看板が林立する。ほがらか天国、というわりには、「バカ」だの「ぼけ」だの、妙に挑発的な言葉が目立つ。中でも気になる「ぼけとる観音」とは一体なんなのであろうか?ちなみに入口には「夢見るふるさと」の看板もある。しかし、こんな故郷だったら、はっきり言ってイヤである。夢見る、といっても、その夢は悪夢であるとしか言いようが無い。

施設に入ることはできないと思っていたが、正門の左側に道がついている。立ち入り禁止とも書かれていないし、これは入ってもいいものだ、と解釈した。なあに、見つかっても堂々と「ちょんまげ村を見に来た」と言えばいいのだから。

さて、この廃墟の中でも、もっとも秀逸な一品がこの水車小屋である。見事に廃村のあばら屋の雰囲気をかもし出している。この遺跡(?)における白眉といってもいいだろう。

さて施設内に潜入したソレガシは、まず「ぼけとる観音」参拝に向かった。

観音像そのものは別にそれほど変ではない。が、荒れ果てたヤブの中に立っている姿は異様だ。そのヤブのなかに、旅の女とおぼしき「顔出し」があるのも不気味である。ただひとつ言える事は、「ぼけとる」のは観音さまではなく、これを建立した人間の方である、ということだ。

これは盆踊りの櫓だったらしい(※1)。見事に倒壊している。昨年の台風で押し倒されたものであろうか?廃墟を歩く危険さを知らしめてくれるようである。

(※1)盆踊りの櫓であったという説と照明塔であったとする説があり、未だ定見が無い。

一ぷく茶屋」の前にも顔出しがある。この横に立つ「水戸黄門」と書かれている看板にはこんなことが書いてある。

・・・・・。何をもとに考証したのかは分からないが、こんな茶店に立ち寄ったとは思えない。しかも「復」って、字が間違っとるじゃないか・・・。

茶屋の内部である。なぜか、上杉謙信(だと思う)の顔出し(※2)が転がっている。ガラスの扉がついた食器棚が思いっきり場違いである。しかも、なお面妖なことに、そのガラスにこの施設を撮影するあやしげな人物が写りこんでいることである。。。。

(※2)上杉謙信説と武蔵坊弁慶説が鋭く対立しており、今後の研究成果が期待される。

「宝古殿」、いわゆる宝物殿であろう。どんな宝物が陳列されていたか、ある程度想像できる気がする。さすがに不気味すぎて、ここには潜入していない。

県道沿いの「愛の花咲くバス停茶屋」。「バス停茶屋」だけでも意味不明なのだが、「愛の花咲く」という枕詞はいったい何を意味しているのであろうか?全く不可解きわまりない。ちなみに、中はゴミ溜めのようになっていて、バス停としての役割はすでに終えているようである。

最後に、この写真をご覧頂こう。

・・・・経営者募集中なんだそうである。まだやるつもりなのだろうか。早くいい経営者が見つかって欲しいものである。合掌。

情報提供:赤飯さん

追加情報:山田ちょんまげ村はもはや跡形も無く取り壊され、整地されてしまっています。今から見に行ってももう何にもありません。遺物(??)の数々は埋め立てられてしまったらしいです。数千年後にココを発掘する人が困る様子が目に浮かびます。

埋もれた古城 表紙
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