足利氏発祥の地

足利氏館

あしかがしやかた Ashikaga-Yakata

別名:鑁阿寺館

栃木県足利市家富町(鑁阿寺)

城の種別

中世武士館

築城時期

文治年間

築城者

足利義兼

主要城主

足利氏

遺構

堀、土塁、門、仏殿社

足利氏館の東門<<2001年12月15日>>

歴史

源姓足利氏の祖、足利義兼が文治年間に館を築いたといわれる。この義兼の七代孫にあたるのが征夷大将軍となった尊氏。しかし、尊氏の頃はこの館は使われていなかったらしい。尊氏は生涯で一度もこの足利庄に入ることはなかったともいう。

さきに両崖山城を見たため、日没寸前の駆け足見学になってしまいました。写真も光量不足です。

 

足利氏館は現在は鑁阿寺(ばんなじ)という寺になっており、足利氏ゆかりの建造物が数多く残されています。敷地は一辺が200mほどの、典型的な方形武士館の形状で、周囲には堀と土塁が廻っています。堀・土塁といっても、戦国期のような大規模なものではなく、一跨ぎで越えられそうなものですが、雰囲気はよく残ります。

NHK大河ドラマなどでは尊氏がここで育ったことになっていますが、どうやら尊氏は幼少の頃より鎌倉で過ごしており、本領であるここ足利庄には一度も足を運ばなかった、とのことであります。ちょっとガッカリ。まあ、そうは言っても足利氏の本領ですからね。良しとしましょう。いわゆる「典型的方形武士館」というものも味わえるわけですし。

隣には、中世の大学「足利学校」がありますが、日没タイムアウトで見学は出来ませんでした。

 

薬医門形式の北門。 鑁阿寺周囲を廻る土塁と堀。
初代・足利義兼が妻の菩提を弔うため創建したといわれる経堂。 こちらも義兼創建と伝わる多宝塔。

いや〜もうちょっと早く着けば足利学校も見れたかな。お寺はあんまり詳しくないけれど、この鑁阿寺は建物がよく残っていますね。お寺マニアにもオススメです。

 

 

交通アクセス

 

周辺地情報

足利氏ゆかりの学校、足利学校。戦国期の遺構としては足利長尾氏の築城といわれる両崖山城(足利城)。

関連サイト

 

 
参考文献 現地解説板

参考サイト

 

 

 

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