嗚呼、壮絶。八王子、落城

八王子城

はちおうじじょう Hachiouji-Jo

別名:

東京都八王子市元八王子

(八王子神社)

城の種別

山城

築城時期

天正十五(1587)年頃

築城者

北条氏照

主要城主

北条氏照

遺構

曲輪、石垣、主殿跡、復元木橋、御主殿の滝

御主殿に向かう曳き橋<<2001年02月15日>>

歴史

小田原北条氏三代・氏康の三男、氏照が築城し、滝山城から移転した。時期は諸説あるが天正十二〜十五(1584-87)年頃と見られている。

天正十八年(1590年)、秀吉の北条討伐に際し、城主・北条氏照は小田原城に籠城、八王子城には横地監物吉信、狩野主繕入道一庵、中山勘解由左衛門家範、近藤出羽守綱秀ら四千が籠城した。六月二十三日早朝より前田利家、上杉景勝を総大将とする北方軍に攻められ半日で落城、城兵、女子供、千数百人が惨殺された。城代の横地監物は敗兵をまとめて檜原城に立て籠もったが、檜原城も陥落し、横地監物は小河内で土民に殺害された。この時、小田原城にいた城主・北条氏照は、のちに秀吉から、四代当主・氏政とともに切腹を命じられた。徳川期は八王子は天領となり、八王子城跡は禁制地とされた。

城は山麓の居館地区・山上の詰めの城である要害地区・城下町、武家屋敷にあたる根小屋地区にわかれた典型的中世山城。築城年代から考えて、武田勝頼の新府城などと並んで中世山城の最終形と考えられます。現在残っている遺構も相当に広い範囲で、最低でも半日コースなのですが、往時は現在の横川町あたりまでが惣構えの範囲だったそうで、周辺の支城群なども含めると、関東屈指の巨大山城でした。崖城や沼城など、平城、平山城を好んで作った北条氏最後の築城が屈指の巨大山城で、城主不在の中、しかもそれがたった一日で落城してしまったあたりに、皮肉な運命が感じられます。この悲報を小田原城で聞いた城主の氏照は、床を叩いて号泣した、といいます。

最初の見学は2001年2月。夕方から雪の振った、非常に寒い日でした。この時は居館地区と要害地区の主なところを見て回ったのですが、後で見逃した遺構が多数あった事がわかり、二度目の攻城となりました。

公園正面からの登山道である新道はよく整備されているのですが、新道はよく整備されているのですが、ところどころ急な傾斜や段差の大きい石段があり、それなりに体力を使います。また、途中あちこちに分岐する小道があり、入ってみると小曲輪だったり、八王子城に何のゆかりも無い石碑だったりします。この小道は獣道に近く、冬はまあいいとしても夏はちょっと入るのがためらわれるでしょう。また小道が所々さらに分岐しているのですが、案内板が無いためなんとなく心細い。まあどの道も、最後は新道に繋がっているみたいなので安心ですが・・・

山上の八王子神社のさらに上に細い道があり、本丸へ通じています。八王子神社付近(松木曲輪)からは、八王子市街から都心、相模湾、遠く筑波の山塊まで見渡せます。

なおこの松木曲輪から尾根づたいに西へ向かうとさらに「詰めの城」があり、馬冷、石塁、堀切などがあります。一回目の時は体力の限界でそっちまで行くことはできませんでしたが、今回はきっちり見てきました。最初の頃に比べて山歩きも慣れてきて、今回は楽勝でしたね。

なんでも八王子城はこの地方最大の心霊スポットだそうで、夜でも怖いもの見たさに御主殿の滝のあたりを訪れる人がいるとか。秀吉の北条討伐にあたり、「見せしめ」として徹底的に殺戮が行われた場所であるだけに、そうした言い伝えも残るのでしょうが、どうか戦死者の魂の安息を乱してくれることの無いように、お願いしたいところです。

それから、要害に行くなら靴はキチンとしたものでないと辛いです。

 

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交通アクセス

中央自動車道 八王子ICより車20分 元八王子(八王子霊園)方面

周辺地情報

八王子近辺は中世の遺構がたくさん。とりあえずオススメはなんといっても滝山城でしょう。八王子城周辺には初沢城小田野城などの支城もあります。でも、まずはこの八王子城をくまなく見て欲しいですね。

関連サイト

 

 
参考文献 「八王子城滅亡」(川村掃部/南雲堂)、「小田原合戦」(下山治久/角川選書)、「真説戦国北条五代」(学研「戦国群像シリーズ」)、「戦国関東名将列伝」(島遼伍/随想舎)、現地配布資料、現地解説板、および現地ボランティアガイド。

参考サイト

 

 

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