 |
 |
| 城址西側の本法寺から谷津を挟んで見る興国寺城。低湿地に突き出た半島状の台地を城郭とする手法はそのまま北条流築城の原点になっています。 |
二ノ丸付近から見る本丸。二ノ丸との間にはかつては堀がありましたが現在では見ることが出来ません。本丸は「コ」の字の土塁に囲まれた、谷津奥状の地形です。 |
 |
 |
| まずは早雲公にご挨拶を。ここが名将・早雲公の原点かと思うと体が震えるほど感動します。 |
最後の城主、天野康景の碑。「どちへんなしの三郎兵衛」と呼ばれる公正な人物でしたが、家臣の不始末から苦境に立たされ、城主の座を投げ捨てた人物です。 |
 |
 |
| 早雲の碑や康景の碑、神社が建つ本丸。 |
本丸から城下を見る。早雲が愛し、庇護した領民の街。 |
 |
 |
| 本丸周囲の土塁は思わず見上げてしまうほどの高さ。 |
本丸背後の天守台石垣。荒々しい野面積みがなんともいえない迫力があります。戦国後期から近世に掛けての遺構。 |
 |
 |
| 天守台には礎石が見られます。二層程度の櫓が上がっていたと考えられています。 |
天守西側の西櫓台。ここにも櫓が上がっていました。 |
|
|

|
| 西櫓台付近から背後の堀切を覗く。大げさではなく、ビックリするほどの深さです。 |
その大堀切。これほどの規模の堀切はそうそう見られません。折歪みも見られます。 |
|

|
|
| おそらくこの堀は、戦国末期に掛けて拡張されたものなのでしょう。しかし、堀もスゴイが10月だってのに藪蚊もスゴすぎるぞ。。。 |
本丸から大堀切を隔てた北曲輪。興国寺城の外郭部にあたります。 |
|
|
|
| 北曲輪にも浅いながらも背後の台地続きと断ち切る堀切がはっきりと伺えます。 |
しかしその北曲輪背後は新幹線が!5分に1本くらい通過するので、静かに思いを馳せる、というわけにはいかないんですよね。。。 |
|
|
| 二郭の一角にある「石火矢場」と呼ばれる場所。迎撃の要であったのでしょうか? |
二郭にはとくに土塁等はありませんが、かつては堀と土塁で他の曲輪と分断されていました。 |
|
|
|
二郭の東側の片隅にひっそりとある虎口らしき道。搦手だったのでしょうか。とりあえず降りてみると・・・。 |
かつて城の周囲を取り巻いていた湿地(水堀)の跡が明瞭に残っていました。 |
|
|
|
本丸付近下の水堀跡。水堀、というよりも泥田堀だったと思います。この低湿な谷津を挟んで農地化している清水曲輪があります。 |
二郭付近からかつての大手門のあった「枡形」付近を望む。このあたりは改変が激しく、かつての姿を想像するのは難しい。 |
|
|
|
それでも、かつて堀であったであろう地形などはところどころにうかがうことが出来ます。 |
城址目の前のガソリンスタンド背後は三郭外堀でしたが、こちらも面影はほとんどありません。 |
|
|
| 二郭の西側には舟付場がありました。その虎口らしき道もあります。降りてみると、かつての低湿地の面影が残っていました。 |
西側の谷津を挟んだ本法寺にある河毛惣左衛門の墓。本法寺は河毛氏の菩提寺であるとともに、興国寺城の出城でもあります。 |
|
|
|
| 本法寺背後の墓地手前には、出城であったことを伺わせる土塁があります。 |
本法寺には空堀もある、とのことですが、これのことだったのでしょうか? |