鑓田美濃守、リベンジ果たす

小浜城

こばまじょう Kobama-Jo

別名:

千葉県夷隅郡大原町大原

(八幡岬・八幡神社附近)

城の種別 海城

築城時期

明応二(1493)年

築城者

鑓田勝定

主要城主

鑓田氏

遺構

曲輪、土塁痕

南側舟溜りから見る小浜城<<2002年09月01日>>

歴史

明応二(1493)年、万木城主・土岐頼定が家臣の鑓田美濃守勝定に命じて築城させた。

「房総治乱記」「関八州古戦録」等によれば、天正十六(1588)年、鑓田美濃守勝定は館山城主・里見義頼の命を受けて伊豆網代城攻め(あるいは相模国三浦)に遠征して北条氏直軍と戦っていたが、その隙に乗じて勝浦城主・正木左近大夫正春(正康)が百五十騎で急襲し、城代の鹿草権之助をはじめ多くの者が討ち死にしたり自害したりして小浜城は落城したという。里見義頼は、丸城主・山川豊前守を遣わせて小浜城を奪回しようとしたが失敗、帰国した鑓田美濃守も奪回できなかった。天正十七(1589)年三月三日、勝定は夜中に大工二、三人を乗せた小船を東北の切岸の下に忍び寄せて、梯子を作らせ、忍びの者を城内に入れて館に火を放ち、正木軍を追放してようやく小浜城を奪還したとされる。しかし、前後関係や家臣団の関係を考慮すると信憑性に乏しい。

小浜城について書かれた文章を読むと、城主・鑓田美濃守は里見の武将で、里見義頼の命で北条方のお城を攻めている最中に勝浦城主とされる正木左近大夫正春に城を奪われた云々、と出てきますが、ここらへんのお話はかなり眉唾、というかメチャクチャでしょう。おそらく鑓田美濃守なる人物は、「日本城郭大系」で記述されているように、里見の将などではなく万木土岐氏の将でしょう。したがって小浜城は、万木城の支城という位置付けが正しいかと思います。さすがに「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」「新編房総戦国史」などの書籍では、そのあたりをしっかり指摘しています。それに、正木左近大夫正春なる人物はおそらく実在していないでしょう。左近大夫は勝浦正木氏歴代の官途ですが、このような人物は見当たりません。それに、当時勝浦正木氏は里見に与して北条とは敵対していたはずで、北条を攻撃している鎗田氏の居城を奪うとは考えられません。また、「鑓田美濃守勝定」なる人物が築城したとされていますが、天正十六(1588)年に正木左近大夫に襲われたのも同名の人物で、同一人物だとすると明らかに年代が合いません。もしかしてこの小浜城をめぐる戦いは年次違い?それにしても辻褄があわないなあ。。。ということで、この軍記の記述をこう解釈してみました。

「万木土岐氏は天正十六(1588)年、北条の陣触れに応じて鑓田氏らを派遣したが、その隙を衝いて勝浦城主の正木左近大夫頼忠が小浜城を襲撃した。その後、鑓田氏は万木土岐氏の後ろ盾で居城を回復した・・・」。「まったくの作り話」と切り捨ててしまわなくても、一応は筋道の立ったお話に生まれ変わりました。これが正しいかどうかはわかりませんけどね・・・。

現在、夷隅川は小浜城の3kmほど北側に注いでいますが、かつてはこの小浜城直下の大原漁港附近が河口だったということです。夷隅川はこの地方では最大の河川であり、中流域の大多喜城万木城方面とは水運で結ばれています。この夷隅川流域を抑えた最大勢力は万木土岐氏であり、その勢力は多少大げさであるにしても「十万石」と称されます。その万木土岐氏の海への玄関口となったのがこの小浜城でしょう。当然、勝浦正木氏との「境目の城」の役割も持ち、かつ水軍基地としての機能も併せ持っていたでしょう。

ただ、直接外海に面しているため、海蝕によって地形は相当に変わっていると考えた方がよさそうです。先端なんか、ほとんど崩落しちゃっているでしょう。明瞭な遺構には乏しいですが、一部土塁であっただろう場所がコンクリで固められていたり、城主の居館らしき曲輪があったりします。またお城の南北それぞれに軍船溜りを抱えており、小規模な城郭ながらもその立地と景色のよさもあって、それなりに見て楽しめるお城ではあります。

北側の大原漁港から見る小浜城。おだやかな姿に見えますが、反対側から見ると様相が一変します。 南側から見る小浜城の雄姿。切り立った崖、打ち寄せる太平洋の荒波が雄々しい。しかし岬の先端部分はかなり崩落してしまっているでしょう。
城址に建つ八幡社へ入口附近には水堀もあったらしいですが、全くその名残は留めていません。 神社参道脇に建つ「小浜城址」の碑。きちんとお城として認識されているんだなあ。
この集会所のような建物が建つ一角が城主の居館であるようです。岬の頂上の方は険しい山で、無線用のアンテナが建つ程度の平場しかないようです。 このコンクリで護岸されたモノがどうやら土塁であったらしい。多分岩盤を削り残したものだったのでしょう。
さすがに景色はよい。北側の大原漁港から大東崎方面の景色です。 こちらは南側、勝浦方面へ続く海岸線の断崖絶壁。手前の入り江は軍船を繋留する軍港だったとみられています。

 

 

交通アクセス

東金有料道「東金」ICより車50分。

JR外房線「大原」駅徒歩15分。

周辺地情報

あまり附近に見どころのあるお城が無いですが、内陸なら万木城、海沿いなら勝浦城というところでしょう。

関連サイト

 

 
参考文献等

「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」 ( 川名 登 編/図書刊行会)

「房総の古城址めぐり(上)」( 府馬清/有峰書店新社)

「新編房総戦国史」(千野原靖方/崙書房)

「房総里見水軍の研究」(千野原靖方/崙書房)

「日本城郭大系」(新人物往来社)

「関八州古戦録 原本現代訳」(ニュートンプレス)

参考サイト

余湖くんのホームページ北条五代の部屋

埋もれた古城 表紙 上へ