上総流通ターミナルの警備センター

椎津城

しいづじょう Shiidzu-Jo

別名:

千葉県市原市椎津

城の種別 平山城(丘城)

築城時期

元応年間(1325)頃

築城者

椎津三郎(千葉氏系)

主要城主

真里谷武田氏、木曾氏、白幡氏

遺構

曲輪、土塁

椎津城本丸跡<<2002年03月09日>>

歴史

築城時期ははっきりしないが、千葉一族の椎津三郎が在城し、のちに上総真里谷庁南に居を構えた武田氏の一族が姉崎湊の警護のため取り立てたといわれる。

武田信保は足利義明を奉じて小弓城を奪取し、小弓公方・足利義明と古河公方・足利高基が対立、永正十六(1519)年には足利高基の命で下総結城城の結城氏をはじめとした軍勢に攻撃を受けた。しかし天文三(1534)年には足利義明と武田信保は不和になり、信保はこれがもとで憤死し、その跡目をめぐって武田氏の内紛が勃発、嫡子信応に真里谷城を追われた庶子長男の信隆が籠る椎津城に対して義明が攻め寄せ、信隆は峰上城に、その子信政は造海城に落ち延びて立て籠ったが、足利義明と義明に味方についた里見義堯らに攻められ、北条氏を頼って落去した。

天文七(1538)年の第一次国府台合戦で足利義明が戦死すると、信隆・信政は椎津城に戻り居城とした。天文二十一(1552)年、信隆の没後、北条氏康が椎津城の武田信政と万木城の土岐頼定を甘言で引き入れようとしたが、土岐氏が拒絶して里見に注進したため、里見義堯・義弘父子は万木城主・土岐頼定、大多喜城主・正木大膳亮時茂らを先鋒に押し寄せ、信政は自刃、里見義堯は椎津城に木曾左馬助を城代に置いた。永禄七(1564)年の第二次国府台合戦で里見氏が大敗、余勢をかった北条氏は上総に侵攻し、椎津城代・木曾左馬助は城を追われ、北条氏は城代として白幡六郎を置いた。天正十八(1590)年の小田原の役では浅野長政率いる別働隊の攻撃を受けて落城、白幡六郎は追撃され白塚村で討ち死にした。

今見ると、ただの住宅地の小丘陵にしか見えませんが、実は中世上総および江戸湾の水上交通にとってはまさに要衝でした。今は埋め立てによって海岸線は遠くなり、京葉工業地帯の重化学工場群が林立していますが、かつては前川、椎津川が江戸湾に流れ込む絶好の自然港湾で、対岸にあたる品川湊とともに、海上交通、物流、そして軍事の拠点でした。その物流ターミナルを警護する重要な城砦がこの椎津城だったのです。そんなわけでこの椎津城、椎津湊(姉崎湊)は、古河公方足利高基による攻撃や小弓公方・足利義明による攻撃など、上総の歴史を語る上で度々登場します。北条氏と里見氏が上総西部の覇権を激しく争った時期も、たびたびその戦乱に巻き込まれており、両勢力のぶつかる軍事的な緊張地帯でもありました。
わずかに残った主郭周辺には竹垣が組まれていて、主郭内の見学は無理かと諦めかけていたとき、その竹垣の中に伐採作業中の人を発見、中に入っていいかどうか聞くとあっさりOKを貰い、竹垣の中央部の扉から入城。これはラッキーでした。主郭は狭く、竹薮に覆われて薄暗かったですが、土塁や、曲輪内をさらに二分する方形の土居などがよく残っていて、これも嬉しい誤算でした。しかもなんと、市原市教育委員会が建てた「椎津城跡」の標柱まであるではないか。さっき許可を貰った方に「でも何にも無いよ〜」なんて言われましたが、どうしてどうして、土塁や曲輪がこれだけ残っていれば十分、むしろこの余計なものが一切無い、寂しい城址が「埋もれた古城」の風情を感じさせてくれます。ま、それでもこれ以上城址が破壊されないことを心から祈りますが。。。

城下を流れる椎津川から見た落日の椎津城。この川が椎津の港湾都市としての価値を高めていました。

まさに落城寸前、城の周囲は敵兵ならぬ新興住宅に包囲され、わずかに主郭を残すのみ。危うし、椎津城!

幸運にも土地所有者と見られる方のお許しを得て主郭内へはいることができました。これは主郭の土塁虎口。 竹薮に包まれた主郭には市原市教育委員会の建てた標柱がひっそりと。

主郭はおおきく二つの区画があり、南側は方形の土居に囲まれていました。 主郭北側の土塁。周囲が急斜面なので、崩れて一部分しか残っていないのかもしれません。

主郭の周囲は切り落としたような急斜面。この主郭は、古墳を利用していることが発掘調査の結果、判明しています。 通称「要害道」にわずかに残る土塁。

主郭周囲の腰曲輪。主郭の南側には堀切もあるようですが、民家のすぐ裏なので入れず、確認していません。 主要部から谷津を挟んだ東側の通称「正坊山」北端から見た姉崎方面の市街。埋め立てと工場用地化が進んで、かつての湊の跡はありません。この正坊山は出城だった場所。

宅地化が進んでいますが、主郭付近は思ったより状態良好。でもいずれ宅地に飲み込まれてゆくのでしょうか?

 

 

交通アクセス

館山自動車道「市原」ICから車15分。JR内房線「姉ヶ崎」駅徒歩15分。

周辺地情報

千葉市方面なら小弓城など。市原市、木更津市、君津市周辺には真里谷城をはじめとした真里谷武田氏関係の城郭がたくさんあります。市原市は巨大なので、隅々まで廻るのは結構大変かも。

関連サイト

 

 
参考文献 「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」(川名 登/図書刊行会)、「房総武田物語」(府馬清/昭和図書出版)、「房総の古城址めぐり(上・下)」( 府馬清/有峰書店新社)、「新編房総戦国史」(千野原靖方/崙書房)、「国府台合戦を点検する」(千野原靖方/崙書房)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、現地解説板

参考サイト

余湖くんのホームページ房総の城郭

 

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