逆臣残酷物語

石毛城

いしげじょう Ishige-Jo

別名:本石毛城

茨城県結城郡石下町本石下

(八幡神社周辺)

城の種別

平城

築城時期

天文元(1532)年 

築城者

豊田政親・石毛政重

主要城主

石毛氏、多賀谷氏

遺構

土塁・堀の一部

八幡神社境内の石碑<<2003年06月22日>>

歴史

天文元(1532)年に豊田城主・豊田四郎政親が下妻城主・多賀谷氏の南下に備え築城し、次子の次郎政重を石毛城主に任じたという。

このころ豊田城主・豊田政親は下妻城主・多賀谷氏の侵攻を防ぐため、小田城主・小田氏治と縁戚になり同盟している。弘治〜永禄年間頃には多賀谷氏の侵攻が激しく、永禄元(1558)年には豊田城主・豊田治親と石毛城主・石毛政重の兄弟は多賀谷軍を長峰原・蛇沼で迎撃し、小田氏の援軍を得て撃退した。

永禄四(1561)年には石毛城主・石毛政重は豊田・石毛の連合軍500余を率いて宍戸入道と謀って加養宿より古沢宿へ進撃したが負傷し、下妻城を目前にして退却した。

永禄六(1563)年多賀谷軍が岡田、猿島に侵攻、石毛政重は古間木城主・渡辺周防守らをはじめとする岡田・猿島軍を三千四百を率いて五家千本木に布陣し多賀谷勢と激戦の末、勝利のうちに結城城主・結城晴朝の仲裁によって和睦した。

天正元(1573)年、再び攻め寄せる多賀谷軍を金村台で迎え撃ち、小田勢の援軍を得て勝利した。しかし石毛政重は天正三(1575)年九月十三日、石毛城内で脳卒中のため急死、その一ヵ月後、豊田城主・豊田治親は多賀谷政経の家臣・白井全洞の調略により家臣の飯見大膳に毒殺され豊田氏は滅亡、多賀谷軍は機を見て七百余の兵を率いて石毛城を攻撃した。豊田氏の遺臣は石毛城に立てこもって抗戦するが逆臣の身柄引渡しと石毛政重の遺児太郎正家の助命を条件に多賀谷に降伏した。

石毛城は多賀谷氏のものとなったが、天正十三(1585)年に多賀谷氏に内紛が発生し、後顧の憂いを除くため破却された。

唖然とするほどの巨大な模擬天守が建つ石下町の市街地の片隅に、石毛城はポツンと寂しく佇んでいます。豊田氏の一族、石毛氏が天文年間に豊田城の支城として築城したお城ですが、遺構は宅地の中の「八幡神社」境内にわずかに残る土塁だけとなってしまい、どんなお城だったのかは想像もできません。ただ、この残った土塁(と堀の痕跡)から想像すると、どうやら曲輪の隅であるようで、形からすると方形の館だったのではないか?と思います。またこれも改変が激しく想像でしかありませんが、土塁の高さなどからして天文年間ではなくもっと昔の館だったのでは?そんな気もします。

ともあれ戦国末期にかけては「元来その性勇猛」(現地解説碑)という石毛政重が豊田城主の兄・豊田治親をよく支えて多賀谷の怒涛の南進を拒み、「石毛城ここにあり!」とその存在感を強く誇示しますが、病魔には勝てず死去、その後、豊田氏の家臣である飯見大膳なる人物が豊田治親を謀殺したことにより、豊田氏一族・旧臣は色めきたちます。機を逸せず攻め込んだ多賀谷軍に対しても抗戦しますが、ある条件のもとに和睦をします。

それが「逆臣」飯見大膳の身柄引渡しと、石毛政重の遺児太郎正家の助命。主筋の助命はともかく、「逆臣の引渡し」という条件、何となく「戦国残酷物語」がはじまりそうな気がしませんか?案の定、始まるのですよ。多賀谷政経は和睦条件を呑み、飯見大膳を召し出しては絡め捕り、豊田・石毛勢に引き渡しました。遺臣たちは大膳を裸身で金村台に連れ出し、主殺しの大罪人として金村郷士の草間伝三郎の造った竹鋸で大膳の首を挽き、その一族三十六名ことごとくの首を刎ねて主君の無念を晴らしたという・・・。ちなみに豊田城主・治親の妻と幼い二児は真菰に身を包み小舟に乗って武蔵柿木(現草加市)に逃れたといい、また助命された遺児の正家は出家入道し、のちに石毛山興正寺の中興の祖として寛永十二(1635)年六月十九日に歿したという・・・。

飯見大膳、甘言を以って多賀谷に誘われ、用が済めば降伏の「引き出物」に・・・まさに「狡兎死シテ走狗煮ラル」、南條範夫氏あたりだったら、これをネタに短編の一本も書き上げてしまいそうな、そんな残酷物語である。。。

八幡神社社殿と、石毛政重の活躍が標された大きな石碑。軍記モノ調の碑文はなかなか読み応えがあります。 八幡社社殿脇にわずかに見える土塁。郭内から1m弱、郭外からだと2m程度の低いものです。
北側の道路に面した土塁。残っているのは30m弱ほど。この道路も堀が走っていたかもしれません。 社殿西側の土塁下、民家との間は堀跡と見ていいでしょう。遺構はこのわずかな土塁と堀のみです。

 

 

交通アクセス

常磐自動車道「谷和原」ICまたは「谷田部」IC車30分。

関東鉄道常総線「石下」駅から徒歩5分。

周辺地情報

近隣だと豊田城、向石毛城などがありますがほとんど遺構らしい遺構はなし。話のネタに「石下町地域交流センター」に立ち寄るのもいいかも。まじめにお城が見たい人は逆井城がオススメです。

関連サイト

 

 
参考文献 「常設展示解説図録」(石下町地域交流センター)、石下町地域交流センター展示資料、現地石碑・解説板

参考サイト

常陸国の城と歴史美浦村お散歩団余湖くんのホームページ

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