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六日町IC付近からの坂戸城遠景。いかにも城山になりそうな、堂々たる姿。実際登山はかなりの体力を使います。 |
城址入り口近くにある内堀跡。このあたりは魚野川の旧河道にあたり、水量の多い急流とそれを取り巻く湿地が天然の堀になっていました。 |

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家臣団屋敷を通り抜けた一番奥が城主の平時の居館である「御館」。坂戸城跡の石碑が建つ。 |
御館の正面には高さ1.5mほどの石垣があります。ここは堀直竒時代の遺構です。近世に入ってからは高峻な要害はあまり用いられず、山麓居館を「館城」形式に改めてここを本拠にしていました。 |

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御館は数段の広い平場からなっています。中央付近には仕切り土塁も見られます。 |
御館より60mほど急坂を登ったところにある中屋敷、「御居間(おんま)屋敷」。堀直竒入封後、山上の要害のかわりに本丸として用いられていたらしい。この中屋敷まででも一汗かきます。 |
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御居間屋敷下にある板額岩。城資盛と板額御前が鎌倉幕府に抗戦したのは鳥坂城であると言われていますが、この坂戸城にも板額の伝説があるようです。 |
いったん麓近くの薬師堂まで戻ってから、薬師尾根の急坂を登る。景色は最高ですがご覧のとおりの急坂で、しかも日影が無いため相当に体力を消耗します。この登り口は薬師砦と言われています。 |

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薬師尾根を登ること約50分。やっとたどり着いた標高633mの「実城」(本丸)。ここからは魚野川流域の平場や遠く関越国境の山々まで見渡せます。 |
実城には解説板、案内板があります。ここからは南北方向へ尾根が伸びています。400mを超える比高差の山城というのはそうそうなく、ここまでたどり着くのは容易ではありません。 |
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実城付近から見た六日町の街並み。南北に流れる魚野川とその川に沿った陸路の重要な交通手段を城下に治めます。 |
関越国境の山々を見る。ここは三国峠からも程近く、国境を守る最大の砦でもあります。 |
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山頂の一段高い櫓台上の土居には富士権現が祀られています。ここには何らかの望楼があったと思われています。 |
実城裏手には、東方向の山麓、岩崎集落方面へ向かう搦手道があります。現在通行可能かどうかは分かりません。 |
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搦手虎口付近には崩れ果てた石垣が残ります。これも堀直竒が入封後のもので、実用性よりも「見せる」ための石垣だったと思います。 |
南方向の尾根筋には烽火台であった「中城」、詰の城であった「大城」があります。尾根筋には写真のような小規模な堀切が見られます。 |

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中城へ向かう尾根から実城を見る。全山が要塞である坂戸城の中でも、やはり実城の要害ぶりは抜きん出ています。 |
尾根の途中にある「中城」。 |

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尾根筋の南のはずれにある標高631mの「大城」。比較的大きな削平地があり、土塁や櫓台らしきものも見られます。ここには大きな石が沢山転がっていました。籠城戦で敵の頭上に落とすためのものでしょうか。ここは城氏時代の古城ともいわれますが真偽の程は不明。 |
一旦実城に戻り、大手コースを下山。実城の北の尾根続きにも沢山の小曲輪があります。写真は広瀬曲輪。右端に支城の六万騎城が見えています。 |

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有事の際の城主上屋敷にあたる「桃の木平」。 |
桃の木平の少し下には水場があり、わずかですが湧き水が流れ出ていました。 |
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北の尾根筋の標高514mの主水曲輪。複数の曲輪が段になっています。尾根上には堀切などもあるようですが、藪化していてよくわかりませんでした。 |
大手道の「一本松」付近から実城を見上げる。 |
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一本松付近には「上杉景勝 直江兼続生誕の地」の石碑が建つ。別にこの石碑の場所で生まれたわけではない。 |
山麓の道宗塚。謙信の姉、仙桃院が嫁いだ長尾政景の墓です。政景の死には様々な説、憶測が語られています。近くには「お茶の清水」などもあります。 |