岡見氏初期の本城

岡見城

おかみじょう Okami-Jo

別名:

茨城県牛久市岡見

城の種別

平山城(丘城)

築城時期

不明    

築城者

岡見氏

主要城主

岡見氏

遺構

曲輪、土塁、空堀

岡見城遠景<<2001年12月22日>>

歴史

岡見氏の出自については明らかではないが、常陸小田城の小田治久の次男某がここに住んだのがはじまりとされる。戦国末期には岡見氏の主城は牛久城足高城に移っていた。牛久城は天正十八(1590)年の小田原の役で落城し、岡見氏は改易されたと伝えられるが、その頃にはすでに岡見城は廃城となっていた公算が大きい。
なんと三回目の訪問になってしまいました。三回も訪問するほどのモノとは思えないのですが、毎回デジカメの電池切れやら、夏草のヤブやらに邪魔されて、ロクに見学できていなかったので、牛久城のついでに立ち寄りました。
城は小野川がつくる湿地帯に面した段丘上につくられています。岡見氏の本城だったようですが、現在遺構として確認できるものはわずかです。土塁などは結構立派なのですが・・・基本的に整備はされていないので、各曲輪の関係や遺構の範囲などは見学した範囲での推測しかできません。城の周囲には広大な畑がありますが、地形や畑の中を走る道(堀跡?不自然に折れ曲がっている)などから、当初は本丸跡と言われている単郭の居館からはじまって、戦国末期にかけての緊張の高まりとともに徐々に拡張されていき、意外と広い城域を持っていたのでは?と思っています。ただ岡見氏の出自自体に謎が多く、その初期の居館と伝えられているこの城についても肝心なところは謎のままです。
主郭の前にある城址の碑と岡見氏の慰霊塔。畑のはずれに鉄塔があるのでそれが目印。この後ろには主郭の土塁があります。 ほぼ方形の土塁。竹薮に覆われてはいますが規模も残存状態も良好です」。
主郭北側の堀と土塁。堀は深いところで2mくらいでしょうか。だいぶ埋まってるとは思いますが。 主郭東北端にあるひときわ高い土塁。もしかしたら櫓台?
主郭の東は谷になっていて、農業用貯水池があります。かつては沼地で、外堀の役目を果たしていたのではないでしょうか? 主郭西側500mくらいのところの鉄塔付近には土塁状のものが。これが岡見城の土塁とすれば、意外に広かったという推測も成り立つのでは?

岡見氏の本城といっても、岡見氏のこともこの城のことも分からないことばかり。遺構も状態は悪くないが手入れは全くされていないし、そもそも遺構自体の規模は小さい。もっと凄いのを見たい人は牛久城に行くべきだ。

 

 

交通アクセス

国道408号線「岡見」交差点南西の畑

JR牛久駅よりバスまたは徒歩50分

周辺地情報

やはり牛久城を見なければ。まだ見ていないけど足高城東林寺城など、牛久沼を要害とした岡見氏関連城郭はたくさんあるようです。

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)

参考サイト

常陸国の城と歴史美浦村お散歩団

 

 

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