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ミョ~に立派な模擬御三階櫓。「なにもこんなデカイの作らなくとも。。。」と思うのは中世城郭馬鹿のひとり事。 |
御三階櫓わきの復元(?)門。なんかこれも妙に風格があって、「移築門」と言われたら多分信じちゃいそうです。 |
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復原鐘櫓と時の鐘。当時の鐘は模擬御三階櫓内の展示室に展示してあります。もともとは別な場所に建っていたそうです。 |
伝・忍城の高麗門。 |
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本丸付近にわずかに残る土塁。向こうに御三階櫓の鯱が見えています。 |
周囲には鉄砲狭間のある土塀が復元されています。でもこの狭間、向きが逆やんけ(爆) |
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忍城模擬天守の北側の道路向かいにある東照宮。なぜここに?と思ったら、家康の長女・亀姫の息子、松平忠明が造営したんだそうです。 |
その東照宮の裏手に残る土塁。ここから東西に、土塁と水堀の痕跡が断片的ではありますが続いています。 |
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諏訪神社裏手の池として残る水堀跡。こうした遺構がそのまま残っているのは意外でした。 |
東照宮裏手に建つ「諏訪曲輪御門跡」の石碑。 |
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東照宮の西、100mほどの場所にも水堀の痕跡が。水に浮かぶ名城を偲ぶには心許ないですが、かつての湿地の面影を残している一角。 |
住宅地の中に建つ「二重櫓跡」の碑。これが元禄十四(1701)年に許可されたという櫓なのかな?こういう碑がいっぱいあるそうです(minaka殿談)。 |
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本丸より東に600mほどの場所にある水城公園。忍城の外構えの堀だった。かつてはこの写真のような沼が周囲を囲い、各曲輪は島のように点在していた。 |
石田堤。優等生・三成クンの一世一代の大技でしたが、城は陥ちず、逆に敵の間者に堤を破られて味方兵士数百人が溺死した。三成クンの額に浮かぶ青筋が眼に見えるようだ・・・。 |

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土砂降りの中、せっかく撮って来たのでもう一枚。新幹線の高架下付近から延びる石田堤。江戸期には街道としても使われたそうです。 |
さきたま古墳の丸墓山に本陣を置き、敬愛する太閤殿下のマネをして水攻めを敢行し大満足の三成クン。しかし悲劇はすぐそこに。。。現地解説板より。 |

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ダ~ン!忍城の間者の手抜き工事で堤は決壊、三成クンの本陣は水浸しに。福島正則やら加藤清正がいたら、「治部少、うぬはそれでも武人か~!」とかケチョンケチョンに言われそう。しかし、凄惨な絵。。。現地解説板より。 |
加須市の不動ヶ岡不動尊に移築現存している黒門(北谷門)。 |
【2003.08.03】近くまで行ったついでに「丸墓山」の三成本陣に立ち寄ってみました。
丸墓山へ |