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名門の薫り高き那須氏初期の居城

神田城

                                                  

かんだじょう Kanda-Jo

別名:那須城

土塁に囲まれた城内

<<2004年04月24日>>

所在地
栃木県那須郡那珂川町三輪
埋もれた古城マップ:栃木編
交通アクセス

東北自動車道「矢板」IC車30分。

公共交通は不明。

行き方・注意点

R293「神田城」交差点を東へ100mほど。国道沿いに案内あり。
付近は宅地・農地。.

【基本情報】

築城年 平安末期・天治二(1125)年頃(?) 主要遺構 曲輪、土塁、水堀、空堀
築城者 首藤(那須)貞信(?) 標/比/歩 標118/比0/歩0
主要城主 那須氏 現況 宅地・畑

【歴史】

那須氏の祖といわれる、首藤権守貞信が天治二(1125)年に築いたというが、長治二(1105)年のことともいう。以後、貞信・資通・資満・資清の四代に渡って那須氏の居城となった。六代宗資のときに稲積城に移り、十代資隆に至って黒羽の高館城に移って神田城は廃城となったという。また資通の代に稲積城を築いて移ったともいう。

【雑感】

中学だか高校だか、その頃に習った授業のうちで最も印象に残ったもののひとつが『平家物語』でした。「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」の有名な出だしの一節とともに、那須与一の活躍する「扇の的」のワンシーンは心奪われるものがありました。

「与一、鏑を取つてつがひ、よつ引いてひやうど放つ。小兵というぢゃう、十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひびく程ながなりして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひいふっとぞ射きったる」

波間に揺れる舟の上の小さな扇の的に全精神を注ぎ、己の名誉と命の全てを賭けて矢を放つ瞬間、そして敵味方息を止めて見守る中、与一の鏑矢の音が空間を切り裂く、そして扇の要に見事的中。扇は春風に舞い上がり、やがて波間に消えてゆく・・・・。こうやって書いている時でも、ゾクゾクと来るものがあります。

そんなわけで下野の名族、那須氏には憧れというか、畏敬の念に近いものを抱き続けていました。ここで紹介する神田城はその那須氏の、最も初期の城館といわれる場所、いわば那須氏の「原点」の地でもあります。上記の「歴史」に見るとおり、必ずしも歴史は明白ではなく、諸説入り乱れてはいるのですが、那須氏の初期の城館である、というところは間違いないところでしょう。異説もありますが与一宗隆の生まれた場所だという説もあり、妄想にターボをかけて、弓の稽古に汗を流す与一の姿や、平家に打ち勝っただけでなくおのれの弓で名を上げて、得意満面で帰館する姿などを想像してみるのも悪くないでしょう。

那須氏の出自自体も明らかではなく、古代の那須国造の末裔である、とか、藤原氏の流れ秀郷流藤原氏、山内首藤氏の流れなど諸説あり、八溝山に棲む鬼人「岩嶽丸」を退治した恩賞で那須に入部したなどという話もあります。那須地方は我が根古屋から少々遠いことや、田舎に帰る経路とも重ならないことなどからなかなか行く機会が無く、嶮しい山々が連なる険阻な地形を勝手に想像していたりしたのですが、実際に行ってみると広く豊潤な大地が広がり、那珂川や支流の箒川など、豊かな水にも恵まれており、一見してその生産力の高さ、豊かさを感じることができました。那須氏の出自ははっきりしませんが、豊潤な農業生産に支えられた那須氏の地盤の確かさ、開発領主としての姿のようなもの感じたような、そんな気がしました。神田城も、こうした豊かな平原の一角、箒川に面した段丘上に構えられており、東国武士・開発領主の姿を教えてくれる、そんな場所でもあります。

神田城は「城」というよりも典型的な方形単郭の武士居館で、一部に欠損はありますが周囲の高い土塁がよく残っています。また一部には水堀も残っており、郭内は水田になったり一部宅地になったりしてはいますが、古い時代の城館としては大変よく残っている部類に入るでしょう。土塁の規模は大きく、室町時代中期くらいまでは一族の者の館として用いられていたかもしれません。なにより、那須氏の累代や現代までに至る附近の住民の方などが畏敬の念を持ってこの遺跡に接していたことが、こんにちの良好な保存状態を支えているようにも思います。

[2005.03.12]

緑と水が眩しい那須の平原に佇む神田城。比高2mほどの段丘端に築かれた、長方形の単郭館です。 南西側から見る土塁。古い時代の館ですが、重厚な土塁は立派なものです。
県道から細い道を入った場所にある城址碑。簡単な解説板も建っています。 城址碑附近の堀。段丘との陸続きである西側は空堀であったように思います。
曲輪の中は田んぼになっていますが、一部欠損しているものの周囲に残る高い土塁が実に印象的です。このどこかで、与一が産声を上げたのかもしれません。 土塁の北西端、ひときわ高い部分に祭られた神社。那須氏にゆかりのものでしょうか。
キラキラと輝く、北側の水堀。美しいです。ここから見上げる土塁は実に高く重厚です。 土塁上から、青々とした空を映し出す水堀。
東側の土塁の切れ目、「大門」というらしく、かつての大手門があった場所でしょう。 その東側の段丘下には、帯状に湿地帯が残っていました。
訪城記録

(1)2003/09/06

(2)2004/04/24

(3)2007/05/12

 

参考サイト

余湖くんのホームページ日本を歩きつくそう!

参考文献

「那須の戦国時代」(北那須郷土史研究会 編)

「栃木の城」(下野新聞社)

「日本城郭大系」(新人物往来社)

推奨図書

那須の戦国時代

下野新聞社 北那須郷土史研究会(編)

那須地方の戦国史を知るバイブル的な一冊。現在入手は難しいようだが、古本市場で見つけたら入手を推奨。

周辺地情報

那須地方は見所のある城館が多いです。附近では、佐良土城福原要害城佐久山城烏山城などをオススメしておきます。

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