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沼地を利用した池に架かる八ツ橋。岩槻公園のある種のシンボルですね。小雨がパラついていたけど、それが逆にいい雰囲気でした。 |
かつて城を守る沼であった低地は見事に何の変哲も無い市民の憩いの場に。この芝生一帯がすべて湿地でした。 |
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出丸である鍛治曲輪に建つ城址の碑。なんでこんなところにあるかというと、本丸は市街地化してしまったから(涙)。もっとも、道灌が築城したオリジナル岩槻城はこの鍛冶曲輪・新曲輪附近だったそうです。 |
有名な城の割には遺構は少ない。これは鍛冶曲輪を廻る空堀。結構深いですが往時はもう3mくらい深かったとか。 |
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鍛冶曲輪の東側、元荒川に面した方面の堀。水路になっていますが、かつては湿地帯と繋がった水堀だったかもしれません。 |
左写真と同じく、「道灌橋」から見る堀。しっかり横矢もかかっています。 |
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鍛冶曲輪周辺の土塁。 |
遺構は少ない、とは言っても決して見ごたえが無いわけじゃない。鍛冶曲輪、新曲輪周辺は馬出しなども伴っているため、堀は複雑でなかなか良い。 |
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鍛冶曲輪から外の車道に出る部分の虎口土橋なんですが、あとでこの車道のあたりが馬出しだったことが分かりました。 |
新曲輪南側の堀。かなり藪化していてさすがに入る気は起きませんでしたが、かなり長大な堀です。 |
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新曲輪周囲の土塁を曲輪内部から。ここから岩槻公園内の堀を見下ろすと、かなりの高さがあります。 |
新曲輪を貫く車道の脇に残る櫓台。 |
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新曲輪付近の土塁と堀。いわゆる「比高二重土塁」です。堀はかつてはもっと深かったはずです。 |
埋め戻されてしまった障子堀の跡。なんで埋めちゃうんだよ~!とは思うけど、保存のためにはこれが一番だったのかも。。。 |
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公園から少し離れた空き地の片隅に残る湿地。公園内よりも意外と当時の面影を伝えてくれているのかも。 |
時の鐘近くの、何の変哲もない住宅地の交差点に突然現れた「大手口」の碑。公園からは結構な距離がある。やっぱり相当広かったらしい。 |
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公園から1kmほど離れた住宅地の中に復原された時の鐘。なかなかカッコイイ。 |
移築現存している長屋門形式の通称・黒門。大手門であったと伝えられているそうですが、多分そうではないでしょう。 |
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黒門の近くに同じく移築現存されている裏門。 |
近世岩槻藩の藩校であった遷喬館。建物の傷みが激しく立ち入りはできなくなっていました。 |
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岩槻公園からかなり離れた、岩槻駅近くにある愛宕神社。ここが北条氏が構築した、大構え土塁を残す唯一の遺構です。 |
城の東を流れる元荒川。堤防らしい堤防もなく自然河川の雰囲気を残す。でも治水は大丈夫なのかな? |